SOKABE Music Publishing

現代日本の音楽の楽譜

カール・アウグスト・クレブス

カール アウグスト クレープス (1804年1月16日 ニュルンベルク にカールアウグストミートケとして生まれ1880年ドレスデンで死去)はドイツのピアニスト、作曲家、指揮者。
 カールアウグストは1804年にニュルンベルクに生まれました。彼の両親は俳優であるカールミートケと歌手シャーロットミートケ(旧姓プフィッツァー)で、両親ともその地の国立劇場で働いていました。1805年、家族はシュトゥットガルトに移住しましたが、ほぼ一年後にその地で母親が亡くなりました。カールアウグストは父親の同意を得てその地の宮廷歌手 ヨハン バプティスト クレプス と彼の妻マリア アンナの養子となり、 この時より養父の姓を名乗るようになりました。
養父のオペラの仕事と芸術家集団との多彩な繋がりはカールの音楽への関心を促しました。すでに6歳?の頃には、ヨハン ネポムクシェルブレに師事し モーツァルト、デュセック、リースなどのピアノ協奏曲を弾きました。養父によって育てられた作曲の才能も大きな注目を浴び、当時の神童の一人に数えられました。
 1825年、21歳のとき、彼はウィーンに行き,そこでイグナス フォン ザイフリートから作曲を学びピアノの演奏技術を向上させました。彼はピアノのヴィルトゥオーゾとして名をあげ、1826年4月1日にウィーン宮廷歌劇場の第3常任指揮者になりました。1827年の3月、ハンブルク国立歌劇場からの指揮者としての要請を受け入れハンブルグに赴きます。
1830年には、ウィーンで作曲したオペラ『シルヴァ, あるいは歌の力』 (台本: Georg von Hofmann)を演奏
。1834年にはオペラ『アグネス、アウグスブルクの天使』を演奏し、こちらは1858年と1863年にドレスデンでも拍手喝采をもって受け入れられました。
 1850年以降カールアウグストは同じくドレスデンで雇われていた歌手のアロイス ミカレーシと2度目の結婚生活を開始しました。彼らの娘メアリー クレープス(1851–1900) は著名なピアニストに成長しました。
 1850から1871まで彼はドレスデン王立宮廷歌劇場の宮廷指揮者として働きました。1871から死の数週間前までドレスデン聖十字架教会にて教会音楽を指揮しました。1875年には勤続25周年が祝われ、1876年4月1日には指揮者50周年が祝われました。1880年5月16日に彼は家族に看取られる中亡くなりました。彼はドレスデンの旧カトリック墓地にある一族の墓で最後の休憩場所を見つけました。

タイトル 編曲者 編成
恋人よ、君を想う!
鍵盤/管楽 - トランペットとピアノのための二重奏